2017年7月21日金曜日

誕生日おめでとう。

7月20日はクラサの8歳の誕生日だった。
ポーランドから日本に来てから7年経つ。

今年はバタバタしていて、ケーキのデコレーションを省いて、
デザート風にしてみた。
ケーキ種をパンケーキのようにして焼いて、
ブロック状にカット。

ブルーベリーをジャムになる前に火を止めて、
ソース状にしたものを、
ヨーグルトとマスカルポーネと混ぜてトッピングした。

ヒト科でも食べられる(笑)

お誕生日おめでとう!
出来る限り、最大の最長で健康に過ごしてください。
病気になると、母ちゃんはとても悲しみますから(笑)

2017年7月14日金曜日

断脚

バンビ、最後の4本足の姿。
6月24日、断脚の日。
この写真を撮る前、「おしっこしたい」と自力で歩いた。草がいっぱい生えてる場所は、バンビの大好きな場所。…というか、バンビはそういう場所でしかおしっこをしない。
この場所は、獣医の玄関前で斜面になっている。下りの斜面に向かって歩き始めたバンビは、案の定踏ん張れなくてそのまま転げ落ちた。
漫画みたいにローリングしながら、斜面を本当に転がり落ちた。
バンビの最後の4本足歩行は、斜面をローリングで転がり落ちるというバンビらしい思い出となった。でも、転がり落ちているバンビの表情は、とても悲しそうに見えた。
女の子だけど、負け知らずの子だったし、いつも強かったし。というか、力技だけと言えるくらいに強かった。1メートルくらいの高さだったら助走なしで飛び越えてたし。助走つけたら、少々の柵は柵の意味がないくらいにバンビは飛び越えてた。
そんな子が、斜面を転がりおちる気持ちはどんなだっただろうか。

だから、この写真の顔は少し寂しそうに見えると、みんなに言われた。
左前肢に被せてあるのは、大げさにグルグル巻きにしてあるからではなくて本当にそのくらいの大きさの腫瘍があるからだ。

9時、獣医に入る。
術前検査で、貧血が改善傾向にあった。これで手術はできる。
レントゲンでは、肺転移はみられず。
貧血状態は、何とか手術できるというレベルなので、事前に輸血を受ける。

輸血も付き添うつもりだったけど、「こちらでお預かりします」の一点張りの獣医側の言葉に、私は苦笑いしながら「何かあったら電話ください」と言って、近くの蕎麦屋さんに食事をとりに行った。
入院室からバンビの雄たけびが聞こえる(笑)

14時、獣医に戻る時間。
バンビは手術台の上に既に置かれていた。嗄声になってる。ずっと鳴いてたんだな。
腫瘍を覆っていた吸収シートはボロボロになっていて、中の腫瘍もぐちゃぐちゃになっている。かじったんだ!!
この状態になってようやく、「入院は無理だと言われた意味が分かりました」と言われた(笑) 

鎮静から麻酔。剃毛していく。バンビの(私にとって)かわいいグレーの毛がバリカンで落とされていく。麻酔で弛緩した肛門からうんちが出てくる。

手術開始。
どこから切開するのだろうかと見守っていたら、案外ザクっと肩甲骨周りからいくのね。
びっくりしたのは、血管の太さだった。分枝の動脈・静脈血管が大動脈サイズになっている。そのくらい、腫瘍に血液が送られていた…ということなんだな。
がん…というと、新生血管ばかりに視点が向いていたけど、そうじゃなかった。
新生血管に血液を大量に輸送するために、手前の血管も変化するんだな…。既存サイズから太くなってしまった血管の壁は、それなりに脆弱になっていた。だから、止血のバイポーラの刺激で簡単に大出血になってしまう。止血は、血管を1本1本結索することになったので、2時間予定の手術は5時間を超えてしまった。

バンビの左前肢は、バンビから切り離された。
どんな柵も超えてたバンビと一緒だった前肢。緑色の沼の中で泳いでいたこともあった。雪の中をジャンプしながら遊んだこともあった。蛇を首に巻き付けて走ってたこともあった。

いっぱい、いっぱい、いろんなところに行って、いろんなことをして、思い出があるね。
切り離された脚を見て、「ばいばい」「ありがとう」って呟いた。

切り離した前肢から、腫瘍を病理に出すようにトゥルーバイオプシーをお願いした。
それと、火葬の手配をお願いした。いつか、バンビの全部が虹の橋を渡るとき、前肢を一緒にしてあげたいから。バンビの前肢は、先に虹の橋を渡っていった。腫瘍とともに。

バンビは術中、心拍数も呼吸数も安定して乗り越えた。麻酔の覚醒には少し時間がかかったけれど、無事に即日退院で連れて帰ってきた。


さて、ここからは術後管理が在宅になるので私次第ということになる。
しばらくは眠れないな(笑)

でも、嬉しい。
無事に帰ることができるから。


敗血症からの。

敗血症ショックと言われたけど、
翌日から状態は落ち着いてきた。
脈拍、呼吸ともに安定している。
食欲もある。

断脚手術は6月24日。
あと1週間。
たどり着けるのだろうか?…と、祈るような気持ちになる。

手術まで、毎日点滴をすることになった。
天井の照明器具に紐をかけて、S字フックを先に取り付けて、
点滴スタンドの代わりにする。

点滴開始3日くらいは、おとなしく横になっていた。
…というか、一日中殆ど眠っていた。

点滴開始4日目、
「そんなもんいらねー」みたいに嫌がるそぶりをするようになった(笑)
元気が少し出てきたのか?
おしっこをしたがるようになったので、カテーテルの違和感か?
導尿しても落ち着かない。
バルン抜去のはずはないんだけど…。

4本足で過ごせるのも残り3日。
外でおしっこをしたそうなので、思い切ってバルンを抜去した。
介助ベストで支えて、立たせてみた。

立てる!

そっと歩かせてみた。

歩ける!!

久しぶりのお庭で、気持ちよさそうな顔しておしっこをする(笑)

本当に敗血症だったのだろうか?

もしかしたら…だけど、
私は炎症性ショックだったのではないかと思っている。
自壊創は朝晩で見た目にわかるほど大きくなっている。
もう、乳児の頭くらいの大きさになっている。
こんなに急速に大きくなっていれば、炎症もかなりあるはず。
自壊創を覆っている吸収シートごしからも、中の熱感が触ってとれる。
これだけの炎症があるのだから、慢性的に炎症物質が放出されているだろうし、
ここにきて炎症物質が急速に増えているだろうし。
そう考えたら、薬を抗菌薬から抗生剤に変更してから状態が落ち着いたことに
説明がつくし。
まあ、私は医師ではないから単なる推測だけど…。

残された4本足の時間を、寝たきりのまま過ごすのではなく、
少しでも自分の足で歩けることができてよかった。


感染症した?

アメブロから引っ越したのに、更新が空いてしまった。わ

順を追って忘備録的に書いておこう。

まず、バンビの患肢が肩まで腫脹でパンパンになった。

自壊腫瘍からの感染だ。
熱感も酷い。保冷剤でアイシングして、
抗菌薬の注射を始めた。

抗菌薬注射2日目。
患肢の肘にあった滑液胞のような腫脹は、半分以下の大きさになり、全体的にもずいぶんスッキリしてきた。

抗菌薬注射3日目。
熱感は残っているけど、腫脹そのものは浮腫み程度に落ち着いてきた。

抗菌薬注射4日目。
熱感は治った。アイシングに使っていた保冷剤を、バンビは「いらない」とでも言うように外すようになってきた。腫脹は殆ど目立たない。

抗菌薬注射5日目。
熱感なし。腫脹も殆どない。
健肢と触り比べると、「そういえば少し浮腫んでるかな」程度。

抗菌薬注射6日目。
熱感なし。健肢と触り比べると、殆ど変わらず。

抗菌薬注射7日目。
念のため、一応注射しとくかな…程度。
自分で立つようになって、日中は歩いてトイレに行っていた。
でも、フラつきが目立つ。10歩位歩くと伏せて休んでいる。呼吸数も増えている。
日中は良かった…が、夕方以降、突然、立ち上がりの時に姿勢が崩れる。
夕飯も1/4残す。
夜間急変の兆候現れる。
呼吸数増加、立ち上がりなし、心拍数増加。

抗菌薬注射終了1日目。
朝、立ち上がりなし。殆ど動かない。
後肢動脈触知出来ず。心音聴取、僅かに何とか聞ける。しかし、殆ど聞こえない。
口腔内粘膜は白色。
呼吸数増大。熱感全身にあり。

動かせる状態ではないので、電話で獣医に状況を伝える。
「敗血症ショック」と言われる。

抗生剤の指示を受けて投与する。

排泄が自力で出来ないため、持続導尿をするためバルンカテーテルを使用することにした。
往診でカテーテル留置を頼む。

排便もしばらくしていなかったので、浣腸を使用した。

本当に敗血症なんだろうか??




8月から今日までのこと

気が付いたら、もう9月の半ばを過ぎていた💦 8月7日以降で、バンビのリハビリを予定していた。 8月5日は、クラサのアデノーシス乳腺腫の手術の予定だった。 クラサの術前検査でGPTとGOTが測定不能になっていたので、 急遽、手術は中止となった。 膵臓や腎臓などの...