2017年9月19日火曜日

8月から今日までのこと

気が付いたら、もう9月の半ばを過ぎていた💦

8月7日以降で、バンビのリハビリを予定していた。

8月5日は、クラサのアデノーシス乳腺腫の手術の予定だった。

クラサの術前検査でGPTとGOTが測定不能になっていたので、
急遽、手術は中止となった。

膵臓や腎臓などの周辺臓器の異常数値はないので、
除草剤などの一過性の症状だろうということだった…けど
我が家は除草剤など全く使っておらず、
敷地も2400坪あるので、所有地内でしか過ごしていない。
特に、バンビの具合が悪くなってからは…。

もし、周りの人が除草剤を使う場合は、
「除草剤を使います」と必ず知らせててくれていた。
だから、その場所にはいかない様にできていたし。

何が原因なのかわからないまま、週1で肝臓の観察をするために
受診することになった。

毎回、血液検査で数値は半分ずつに低下していった。

9月9日、とうとう手術をすることになった。
術前検査では肝臓も基準値内に入っていた。

しかし、3日前から急にご飯を食べなくなっていたことを
獣医に伝えた。
念のため、腹部エコーで診てもらう。

子宮に水がたまり始めていますね。
…ということで、子宮蓄膿症が始まっているとの
ことだった。

クラサの陰部からは、特に臭いもなく、分泌物すら
何もなかったのに。

開腹をして、卵巣と子宮を取り出したとき、
こんなに大きいのか…と思った。
犬の体の大きさと子宮の大きさの比率が私はわからないので、
「解剖学的に、犬の子宮は大きいのですか?」と聞いてみた。
「子宮蓄膿症による炎症で、思ったより大きくなってました。」との
ことだった。
しかも、周辺臓器に癒着も始まっていた。

本来の目的のアデノーシス乳腺腫も切除した。
思ったより、切除部位が大きくて、
なのに皮膚の伸展があまりなくて、結構引き寄せて
無理やり縫合した感が満載だった…けど、これは仕方ないなぁ。

アデノーシス乳腺腫は、大きいものは握りこぶし大。
これは切除した。
でも、反対側の母子の第一関節程度の小さいものは、
今回は切除しなかった。
これも切除してしまうと、縫合が出来なくなってしまうからだ。

それより何より、クラサは麻酔が効きにくくて、
術中に自発呼吸が3回も戻ってきてしまった。
しかも、痛覚までもどるくらい麻酔が効かなくて、
そのたびに麻酔を上げていったので、それが心配だった。

無事に終わって、覚醒を促していたら、
案外早く覚醒に向かってきた。
抜管のとき、我が家の歴代の手術経験の中初めての
騒ぎがあった。

抜管したとたん。
クラサの目が見開いて、
口は180度開いたんじゃないかと思うくらいに開口して、

ひゃー!ひゃー!ひゃー!ひゃー!ひゃーーーーーーー!!

…と、あちこち顔を振り回しながら鳴いていた。

そんなにびっくりしたのか!!
抜管で騒いだ子は、うちの子たちには未だかつてない経験。

術後3時間くらい安静させてもらって、
担架で先生たちが車にクラサを乗せてくれて、
無事、帰宅にむかう。

帰宅したけど、クラサは車から降りない。
ずっと佇んだまま。
仕方ないので、私も車中泊をしてクラサに付き添う準備をした。

夜中の3時頃まで、クラサは佇んだままハアハアしてた。
時々、疲れるのだともう。
シートの背もたれやひじ掛けに顔を引っかけて、
休もうとしているしぐさもあった。

…けど、ずっと佇んだまま💦
夜中3時過ぎころに、ようやくソーっと伏せた状態になった。

でも、朝まで姿勢を変えることなくウツラウツラの浅い眠りを
していた。

翌日、術後day1の朝。
10時頃に佇んでいた場所から数歩歩いた。
車から降りられるかな?と思って誘導したけど、
うちの車はダッジバンラムなので、床から地面までの高さがある。
クラサは「こんな高いところから降りられない」と言う。

ウッドデッキからベンチを2つ、
玄関の上がり框にある長い踏み台を、ダッジの扉のところに置いて、
階段みたな段差を作った。

その緩やかな段差すら、クラサは降りきるのに20分かかった。

さて、これからどうなることやらと思いつつ、何とか自宅に入った。

~つづく~

2017年7月21日金曜日

誕生日おめでとう。

7月20日はクラサの8歳の誕生日だった。
ポーランドから日本に来てから7年経つ。

今年はバタバタしていて、ケーキのデコレーションを省いて、
デザート風にしてみた。
ケーキ種をパンケーキのようにして焼いて、
ブロック状にカット。

ブルーベリーをジャムになる前に火を止めて、
ソース状にしたものを、
ヨーグルトとマスカルポーネと混ぜてトッピングした。

ヒト科でも食べられる(笑)

お誕生日おめでとう!
出来る限り、最大の最長で健康に過ごしてください。
病気になると、母ちゃんはとても悲しみますから(笑)

2017年7月14日金曜日

断脚

バンビ、最後の4本足の姿。
6月24日、断脚の日。
この写真を撮る前、「おしっこしたい」と自力で歩いた。草がいっぱい生えてる場所は、バンビの大好きな場所。…というか、バンビはそういう場所でしかおしっこをしない。
この場所は、獣医の玄関前で斜面になっている。下りの斜面に向かって歩き始めたバンビは、案の定踏ん張れなくてそのまま転げ落ちた。
漫画みたいにローリングしながら、斜面を本当に転がり落ちた。
バンビの最後の4本足歩行は、斜面をローリングで転がり落ちるというバンビらしい思い出となった。でも、転がり落ちているバンビの表情は、とても悲しそうに見えた。
女の子だけど、負け知らずの子だったし、いつも強かったし。というか、力技だけと言えるくらいに強かった。1メートルくらいの高さだったら助走なしで飛び越えてたし。助走つけたら、少々の柵は柵の意味がないくらいにバンビは飛び越えてた。
そんな子が、斜面を転がりおちる気持ちはどんなだっただろうか。

だから、この写真の顔は少し寂しそうに見えると、みんなに言われた。
左前肢に被せてあるのは、大げさにグルグル巻きにしてあるからではなくて本当にそのくらいの大きさの腫瘍があるからだ。

9時、獣医に入る。
術前検査で、貧血が改善傾向にあった。これで手術はできる。
レントゲンでは、肺転移はみられず。
貧血状態は、何とか手術できるというレベルなので、事前に輸血を受ける。

輸血も付き添うつもりだったけど、「こちらでお預かりします」の一点張りの獣医側の言葉に、私は苦笑いしながら「何かあったら電話ください」と言って、近くの蕎麦屋さんに食事をとりに行った。
入院室からバンビの雄たけびが聞こえる(笑)

14時、獣医に戻る時間。
バンビは手術台の上に既に置かれていた。嗄声になってる。ずっと鳴いてたんだな。
腫瘍を覆っていた吸収シートはボロボロになっていて、中の腫瘍もぐちゃぐちゃになっている。かじったんだ!!
この状態になってようやく、「入院は無理だと言われた意味が分かりました」と言われた(笑) 

鎮静から麻酔。剃毛していく。バンビの(私にとって)かわいいグレーの毛がバリカンで落とされていく。麻酔で弛緩した肛門からうんちが出てくる。

手術開始。
どこから切開するのだろうかと見守っていたら、案外ザクっと肩甲骨周りからいくのね。
びっくりしたのは、血管の太さだった。分枝の動脈・静脈血管が大動脈サイズになっている。そのくらい、腫瘍に血液が送られていた…ということなんだな。
がん…というと、新生血管ばかりに視点が向いていたけど、そうじゃなかった。
新生血管に血液を大量に輸送するために、手前の血管も変化するんだな…。既存サイズから太くなってしまった血管の壁は、それなりに脆弱になっていた。だから、止血のバイポーラの刺激で簡単に大出血になってしまう。止血は、血管を1本1本結索することになったので、2時間予定の手術は5時間を超えてしまった。

バンビの左前肢は、バンビから切り離された。
どんな柵も超えてたバンビと一緒だった前肢。緑色の沼の中で泳いでいたこともあった。雪の中をジャンプしながら遊んだこともあった。蛇を首に巻き付けて走ってたこともあった。

いっぱい、いっぱい、いろんなところに行って、いろんなことをして、思い出があるね。
切り離された脚を見て、「ばいばい」「ありがとう」って呟いた。

切り離した前肢から、腫瘍を病理に出すようにトゥルーバイオプシーをお願いした。
それと、火葬の手配をお願いした。いつか、バンビの全部が虹の橋を渡るとき、前肢を一緒にしてあげたいから。バンビの前肢は、先に虹の橋を渡っていった。腫瘍とともに。

バンビは術中、心拍数も呼吸数も安定して乗り越えた。麻酔の覚醒には少し時間がかかったけれど、無事に即日退院で連れて帰ってきた。


さて、ここからは術後管理が在宅になるので私次第ということになる。
しばらくは眠れないな(笑)

でも、嬉しい。
無事に帰ることができるから。


敗血症からの。

敗血症ショックと言われたけど、
翌日から状態は落ち着いてきた。
脈拍、呼吸ともに安定している。
食欲もある。

断脚手術は6月24日。
あと1週間。
たどり着けるのだろうか?…と、祈るような気持ちになる。

手術まで、毎日点滴をすることになった。
天井の照明器具に紐をかけて、S字フックを先に取り付けて、
点滴スタンドの代わりにする。

点滴開始3日くらいは、おとなしく横になっていた。
…というか、一日中殆ど眠っていた。

点滴開始4日目、
「そんなもんいらねー」みたいに嫌がるそぶりをするようになった(笑)
元気が少し出てきたのか?
おしっこをしたがるようになったので、カテーテルの違和感か?
導尿しても落ち着かない。
バルン抜去のはずはないんだけど…。

4本足で過ごせるのも残り3日。
外でおしっこをしたそうなので、思い切ってバルンを抜去した。
介助ベストで支えて、立たせてみた。

立てる!

そっと歩かせてみた。

歩ける!!

久しぶりのお庭で、気持ちよさそうな顔しておしっこをする(笑)

本当に敗血症だったのだろうか?

もしかしたら…だけど、
私は炎症性ショックだったのではないかと思っている。
自壊創は朝晩で見た目にわかるほど大きくなっている。
もう、乳児の頭くらいの大きさになっている。
こんなに急速に大きくなっていれば、炎症もかなりあるはず。
自壊創を覆っている吸収シートごしからも、中の熱感が触ってとれる。
これだけの炎症があるのだから、慢性的に炎症物質が放出されているだろうし、
ここにきて炎症物質が急速に増えているだろうし。
そう考えたら、薬を抗菌薬から抗生剤に変更してから状態が落ち着いたことに
説明がつくし。
まあ、私は医師ではないから単なる推測だけど…。

残された4本足の時間を、寝たきりのまま過ごすのではなく、
少しでも自分の足で歩けることができてよかった。


感染症した?

アメブロから引っ越したのに、更新が空いてしまった。わ

順を追って忘備録的に書いておこう。

まず、バンビの患肢が肩まで腫脹でパンパンになった。

自壊腫瘍からの感染だ。
熱感も酷い。保冷剤でアイシングして、
抗菌薬の注射を始めた。

抗菌薬注射2日目。
患肢の肘にあった滑液胞のような腫脹は、半分以下の大きさになり、全体的にもずいぶんスッキリしてきた。

抗菌薬注射3日目。
熱感は残っているけど、腫脹そのものは浮腫み程度に落ち着いてきた。

抗菌薬注射4日目。
熱感は治った。アイシングに使っていた保冷剤を、バンビは「いらない」とでも言うように外すようになってきた。腫脹は殆ど目立たない。

抗菌薬注射5日目。
熱感なし。腫脹も殆どない。
健肢と触り比べると、「そういえば少し浮腫んでるかな」程度。

抗菌薬注射6日目。
熱感なし。健肢と触り比べると、殆ど変わらず。

抗菌薬注射7日目。
念のため、一応注射しとくかな…程度。
自分で立つようになって、日中は歩いてトイレに行っていた。
でも、フラつきが目立つ。10歩位歩くと伏せて休んでいる。呼吸数も増えている。
日中は良かった…が、夕方以降、突然、立ち上がりの時に姿勢が崩れる。
夕飯も1/4残す。
夜間急変の兆候現れる。
呼吸数増加、立ち上がりなし、心拍数増加。

抗菌薬注射終了1日目。
朝、立ち上がりなし。殆ど動かない。
後肢動脈触知出来ず。心音聴取、僅かに何とか聞ける。しかし、殆ど聞こえない。
口腔内粘膜は白色。
呼吸数増大。熱感全身にあり。

動かせる状態ではないので、電話で獣医に状況を伝える。
「敗血症ショック」と言われる。

抗生剤の指示を受けて投与する。

排泄が自力で出来ないため、持続導尿をするためバルンカテーテルを使用することにした。
往診でカテーテル留置を頼む。

排便もしばらくしていなかったので、浣腸を使用した。

本当に敗血症なんだろうか??




2017年6月2日金曜日

反芻すること。

この写真は何年前のものだろう…。 こんなに元気に楽しく過ごしていた頃は、 今の状況を全く想像していなかった。
もちろん、いつかは来るであろうお別れの日があることは 概念的には持っていたけれど、それが現実的に近いかもしれない…っていうのは、 やっぱり、いろいろ思うことはある。

もっと、大切に過ごしてくれば良かったと、 今さらながらに後悔に思うこともある。
どうして仕事なんて始めちゃったんだろう。
仕事が忙しくなると、犬たちを預けなくてはならなくなり、 朝ご飯を食べたら預け先に連れて行って、 日が暮れて夕飯時間にも遅い時間になってからお迎えをしていた。 だから家で一緒に過ごすのは、 いつのまにか朝と夜だけになってしまった。 そんな日々が5年も続いた。

今は預けるには酷な状態だから、 こんな状態になってから、私は仕事を減らして 出来るだけ一緒に居られるようにした。 でも、きっと、こうして仕事を減らして一緒に居られる…ってことができるのは、 それでも仕事に出かけなければならない人からすると、 私はきっと恵まれてるんだな。 そう思って、今は1日1日を大切に過ごしていこう。

いつか今の状況も、きっと思い出になって、 それでも一緒に暮らせていたことが自分で自分が羨ましいと 思う日が来るのだろうから。

バンビは悪性末梢神経鞘腫というガンになった。 昨年2月に突然出来た固いしこりが2日間で3倍の大きさになったので、 嫌な予感で受診した。 受診後4日目で摘出手術をした。 セーフティーマージンが取りにくい部位だったけど。 皮膚を縫い合わせるのが難しい部位だったから、皮弁を脇腹からとって移植した。 移植した皮弁は3日目に悪臭がして、生着していないと判断し、 獣医に頼んでみてもらった。

バンビは、6時間を超える手術をしたけど、分離不安があって入院はしなかった。 術後は即退院で在宅で看護をしていたので、 皮弁の壊死も写真を撮って獣医に送って判断してもらった。 それでも、バンビは回復してくれた。

再発があるなら、3ヶ月以内だと言われていたけど 3ヶ月間は無事に過ごしていた。 4ヶ月目が終わる頃、瘢痕にしては様子が変だと思って受診した。 獣医は「瘢痕だ」と診断した。 でも私は違和感がぬぐいきれず、それから毎月2回も受診に通った。 術後8ヶ月目、ようやく再発だと診断された。

もっと早くにわかっていたはずなのに。 おかしい…と受診したときに、頼んだ検査をしていてくれたら…と悔やみきれない。 もしこれが人間だったら、何かしら問題になっただろう。 再発の診断を受けたとき、バンビは余命1ヶ月だと言われた。 骨浸潤や骨転移による疼痛コントロールのため断脚を勧められた。 でも、余命1ヶ月で断脚して、バンビの残りの時間を苦痛にしたくなかったので 断脚はせず経過させた。

いろいろ紆余曲折あって、一時は断脚も検討しなければならない状況にもなったけど、 昨年2月の発症から、今は1年3ヶ月が経ったところ。 まだ生きてる。 腫瘍の状態はシビアだけど、レントゲンで写る遠隔転移はまだ見られない。 人間の場合だと、1年はもたないと某大学病院の外科医に言われた。 抗がん剤の適応もないし、転移が早いので。

犬の場合だと発症してすぐに断脚の検討がされるのに、 なぜ、うちでは摘出手術が選択されたかというと、 部位が前肢だったからだ。 犬の荷重は6割が前肢に掛かる。 35kgの体重の6割を、前肢1本で支えると肩甲骨で関節炎が生じる。 そうすると、どのみち前肢は全く使えなくなる。 これが後肢だったら、股関節からの断脚になるけど まだ体重は支えられる。 肩関節からの大切断じゃなく、義肢が使えるように遠位の切断を検討して欲しいと 何人もの獣医に相談したけど、肩甲骨からの切断しかできないと言われた。

今は内科的治療と局所的な腫瘍の縮小の治療を行っている。 ネットで調べると、犬の場合の悪性末梢神経鞘腫で回復した子もいるみたい。 バンビの場合と何が違うんだろう?? 私の選択が間違っていたのか、それとも獣医選びをもっと広範囲でしたorしないかの 違いなのだろうか。 最近も断脚するなら今しかない…と思うような状況になったりもしたけど、 このまま経過させられるかもしれない…という可能性がもてるまでに回復しつつある。

まだご飯は残さず食べる。 まだ、痛みも無く過ごせている。 まだ、まだ…と言えることが沢山ある。 私もネットの検索で、闘病をした子達のブログを読んで、 飼い主さんたちの苦悩や努力に励まされたので、 私もバンビのことを記録として残してみようと思う。 もしかしたら、バンビと同じようなことで悩まれている人も 今後いらっしゃるかもしれないので。 そんな悩みの検索なんて無いのが一番なんだけど。

がんばろう…という言葉は、私はピンと来ないので、「 いっぱい考えよう」…という言葉にしていこうと思う。

アメブロから引越すことにした。

昨年1月からポツポツとだけど、アメブロで書いていたのをblgspotに引越しすることにした。 自分の記録というか、単なる日記のような防備録的な感じだから、 誰かが読むかもしれないし、読まないかもしれないし(笑) 独り言みたいな日記にしていこう。 今まで書いてきたやつは、そのうち少しずつ移せたらいいなと思うけど、 アメブロは記事を引越しさせられないんだよね(笑) 私はアナログな人間なので、単に引越しの方法を知らないだけかもしれないけど。 ま、こっちの方が落ち着いて書けるから安心♪ アメブロで書いていると、何だか落ち着かなかったけど、 引越しを決めて、これを書きながら思ったことは、 ネット上にあるものだし、どこのブログを使おうと何か違いがあるとは思えなかったんだけど、 こうしてココで書いていると落ち着くのは、やっぱり書く人のタイプとそのブログのタイプとかって そんなのがあるんじゃないのかなぁ…と。 ひっそり書けるのが何だかいいな(笑)

8月から今日までのこと

気が付いたら、もう9月の半ばを過ぎていた💦 8月7日以降で、バンビのリハビリを予定していた。 8月5日は、クラサのアデノーシス乳腺腫の手術の予定だった。 クラサの術前検査でGPTとGOTが測定不能になっていたので、 急遽、手術は中止となった。 膵臓や腎臓などの...